旧聞に属しますが、07年のM-1グランプリと漫才の最新型についてサンキュータツオさんがご自身のブログに書いた文章を再録いたします。
今回まったく同じ話になるというわけでもありませんし、イベント参加予定の方は必ずこの文章を読んで予習してきてほしいというわけでもありませんが、一つの「お笑い」や「漫才」に対するアプローチの例として読んでいただければいいかと思います。
でも、面白いですよ!(大山くまお)
■サンドウィッチマンがM-1でしたこと
「サンキュータツオ教授の優雅な生活」2008年9月26日
5分以内のネタでたたかうM-1というシステム、予選から言えば2分、3分で競うM-1の漫才というのは、間違いなく漫才自体の進化を早めたと思う。
M-1は「手数と独創性」を重視しているコンテストであることは一目瞭然である。
一昔前、「手 数」を競うということでは、漫才コントが主流だった。漫才コントは、「設定」さえきちんと聞き手に認識されれば、「その設定での通常の行動パターン」が活 性化されるので、フリがいらなくなる。したがって時間内に手数を盛り込むのに有効だったわけだ(やや専門的に言うと、スキーマの活性化を利用したネタ、と いえる)。
しかし、漫才コントの時代は、アンタッチャブルで終止符を打とうよ、というメッセージがM-1にはあった。少なくとも漫才コントをやるのであれば、アンタッチャブル以上の手数と完成度、そして独創性が欲しい、と。
こうしてM-1は、漫才の独創性を、その原点である「しゃべくり」に求めはじめた。
それは決勝に残っているメンバーを見れば明らかなことなのだが、それに加えて現場での受け、人気、年間通しての活躍、そういった視聴率を見込めるコンビが選ばれるわけだから、決勝に選ばれるのは簡単なことではない。しかも、出すぎていてはそれはそれで「M-1発」という実績にならないので、変に実績を残すと難しい。
そう、いま漫才をすることは、「漫才コント」をやるか、「しゃべくり」でいくか、その二択しかない。
そこで現れた のが、「ブラックマヨネーズ」であり「チュートリアル」だった。彼らの漫才は終始「しゃべくり」で展開され、「じゃあお前○○やって」みたいな設定がほと んどない。「しゃべくり」の型で手数が多いものが好まれ、こういった形がいわゆる「フリ、ボケ、ツッコミ」それ以上でも以下でもなかった漫才を、歴史的に すこーしずつ進化させた。
手数は少ないがPOISON GIRL BANDなども「しゃべくり試行期」で評価されたコンビに違いない。
「キャラ」とまでベッタリと作ってはいないが、しゃべる人間には二人にたしかな個性があり、口から出る言葉までもその個性を裏切らない。
歴代優勝者の変遷を見ても、アンタッチャブル以降はしゃべくり型が重宝され、そして説得力のある勝ち方をしてきた。どのネタを演じても、「らしさ」が出るネタ、それでいてしゃべくり、二人のいる「意味」が必ず保障されているものが選ばれた。
しかし、サンドウィッチマンはそこへきて、「漫才コント」を「もっと掘り下げる」という方法論をもって、「しゃべくり」移行期に一石を投じた。
漫才コントの利点は、実際のコントと違って、ツッコミ役の修正が可能で、設定前の「通常時二人」に戻れるところである。
たとえば、おぎやはぎの「結婚詐欺師」のネタを例にすると、
矢作 結婚詐欺師ってのはね、だいたいあの、パーティー会場とかに現れるんだってよ
小木 あー、はいはいはい
矢作 独身の女性がいるんだって、けっこう
小木 うんうん
矢作 だからそういうとこでちょっとまず、
オレ、をひっかけるとところからやってみようか
小木 なるほど、わかったわかった
矢作 オレ女やってやっから
小木 オッケオッケ
[女役の矢作がワインを飲んでいる。
詐欺師の小木は、ワイングラスを揺らしながら矢作に近づく]
「あのう、貯金額のほう教えてもらいたいんですけども」
矢作 まずいよね、まずいよね それまずいよね
小木 まずいって言われてもさ、こっちはさ、お金のない人騙してもしょうがないわけじゃん
矢作 ん、そりゃそうだけどぉ、
いきなり貯金額はって言われてもそれ答えないと思うよ
小木 あ、そう
矢作 もうちょっと考えたほうがいいんじゃない?
小木 ああ、わかったわかった
矢作 うん
小木 「あれ? いくらぐらい貯金ありましたっけ?」
矢作 [首をひねる]聞き方の問題じゃねんだよ
「あれ?」って言われたらオレ「え、500万ですけど」って
つられて言うと思ったか
小木 んー、言わない
矢作 言わないだろ?
言わないことは言わないで いい?
この下線部のよ うに、一度「男と女」という設定をしたにもかかわらず、「待て、それはまずい」「普通はこうでしょ」という修正を入れることができる。漫才は、普段の二人 の役柄に、さらに話題のなかでの設定を加えることもできるので、二重構造性を備えているのだ(正確には「ボケ役」「ツッコミ役」も役柄なので、素の語り手 を入れると三重構造をなすともいる)。
しかし、サンドウィッチマンにいたって、このルールは無視された。それはたまたまかもしれない。もともとコントをやっていた二人だから成しえた方法かもしれない。サン ドウィッチマンは、一度設定に入ると、二度と「修正と提案」をすべく設定を解除する方法をとらず、最後まで「設定のなかの役柄としての会話」が続く。
伊達 いろいろ興奮することあるけど、一番興奮するのは急いでる時される街頭アンケートだね これ間違いないね
富澤 「あのー、ダイエット中すいません」
伊達 「してねーよ、別に ただ歩いてるだけだよ なんだよお前」
富澤 「アンケートにご協力お願いできませんか」
伊達 「いま忙しいんだよ ほかあたってくれ」
富澤 「渋谷で10代の女性を中心に聞いてるんです」
伊達 「一個もあてはまってねーな!
六本木で俺30代だからさ 渋谷へ行けよ渋谷」
富澤 「別にだれでもいいんです」
伊達 「だれでもいいんかよ」
富澤 「もし問題でもあれば音声も変えますし、目のところにザイモクも」
伊達 「モザイクだよ なんでお前、目のところに材木はめて
アンケートに答えてるんだよ、カメラもねーしよ」
「ダイエット中すいません」で「そんな呼び止め方ねーだろ」と素に戻ってつっこむこともなければ、「失礼だろ、普通はすいません、でいいだろ」とか言わない。
このネタのメッセージは、「修正すら無駄な言葉」というメッセージである。
設定をフリに しているのであれば、あとはテンポよく、フリのいらない、そのまま続けられるボケしか選択しない、ということである。「それアンケートじゃねえだろ」のよ うな、設定を覆すボケをしない。この修正の削除を条件に、ボケの選択肢をせばめることの代価に「手数」の担保を得たわけである。
一見、新しい ことをなにもしてないように見えながらも、もうあれ以上ないと思われた漫才コントの局地、つきつめた方法論でサンドウィッチマンは、「新しさ」をも手に入 れた。コロンブスの卵だ。これに比べるとキングコングのネタは古かった。古いは古いでいいのだけれど(むしろ私もこっち派だ)、M-1向きではなかったかもしれない。「またこのパターンか」の予定調和としてのお笑いは、あの場では要求されていなかった。
しかし、このサンドウィッチマンの漫才コントは、もはや漫才とコントの境界線すら曖昧にさせたことで、いよいよ「漫才コント」の改良の余地を狭めたともいえる。
だから今後は「王道的漫才コント」にゆり戻しは少ないと思う。むしろしゃべくりのほうがまだ余地がありそうだ。
そうして出てきたのが、ナイツである。
一人が、お客さんに語りかける。しかし5秒に一回は「言いまつがい」をする。ツッコミは巧みに拾う。短い言葉でもう一度笑いをとりにいく。テンドンも盛り込む。ひとつのボケで二回の笑いを回収できる経済性をつきつめていくと、ナイツのスタイルにいきつくのは時間の問題だったのかもしれない。
今年、ナイツがM-1の決勝の舞台にいないのであれば、私は同業者として(毎年二回戦落ちだが)疑問を抱くだろう。
時代を象徴する漫才、そこまでナイツはきていると思う。
(以下略)
詳しくは「サンキュータツオ教授の優雅な生活」をどうぞ!
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「東京ポッド許可局」第49回【“手数”論】
http://www.voiceblog.jp/tokyo-pod/726672.html
マキタスポーツさん、プチ鹿島さん、サンキュータツオさんによるポッドキャストです。
さらに“手数”について掘り下げた内容となっています。
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